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 沖縄/海底ピラミッドの謎

琉球海底ピラミッドの謎!

巨石文化に対する研究の遅れが目立つ日本だが、最近、沖縄海域、日本列島に続々ピラミッドが発見されている。太陽信仰を物語るこの巨石建造物のナゾの解明が待たれる!

今、沖縄では海底遺跡が続々発見され、一方、日本列島各地でもピラミッドの存在が確認されている。両者は、なにか関係があるのだろうか?

ピラミッドはエジプトが本家本元というのが常識だが、実は日本がピラミッド発祥の地であると言ったら、びっくりするだろうか。

奈良県で、ベンチャー企業を営む一方、日本古代史を熱心に研究する石井昭英さんがこんな話をしてくれた。
「大和三山(やまとさんざん)である天香具山(あめのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)は似たような形で、しかもピラミッドに少し似ているのです。耳成山の頂上から天香具山の頂上に直線を引っ張って、底辺として畝傍山の頂上にそれぞれ線を引くと、ほぼ二等辺三角形になります。畝傍山の隣にある古墳は日本の初代天皇・神武天皇陵です。桜井市にある三輪山(みわやま)も三角形でピラミッドに似ており、山のふもとに大神(おおみわ)神社と神武天皇の聖蹟があります」

なんと、大和三山は古代人によって造られたピラミッドなのだと言うのである。
2001年1月15日、『岩手日報』に「ピラミッド見つけた!?」という見出しの記事が掲載された。岩手県滝沢村の人が「環太平洋型ピラミッド」と思われる四角錐形の山を秋田県田代町で発見して、独自の調査を行っているというのだ。

エジプトのピラミッドが巨石を積み上げらて造られているのに対して、秋田県で発見されたものは山の土を削って四角錐に形を整えられている。
このような日本型ピラミッドを最初に発見したのは、昭和9年(1934)5月、山形県生まれのキリスト教牧師・酒井勝軍(かつとき 1873〜1940)だった。

彼が陸軍情報部員としてシベリア、パレスチナ、エジプトへ赴いたとき、その地でギゼーのピラミッドについて伝える古文書を入手した。
帰国後の昭和9年のこと、酒井は広島県の山奥、比婆(ひば)郡本村の葦嶽(あしたけ)山に登った。村長や地元の新聞記者などの立ち会いのもと、発掘を始め、その結果、この山が2万5000年前に建造されたピラミッドであることが立証されたのだ。

酒井は、ピラミッドとは次のような条件を満たしていなければならないという。
1、三角錐や四角錐など、整然とした三角形の山であること。
2、頂上付近に「太陽石」およびそれを取り巻く列石が存在すること。
3、遙拝するための拝殿が伴うこと。
4、拝殿に東西南北の方位を示す「方位石」、太陽の光を反射するように表面を磨いた「鏡石」、2つの巨石の上に1枚の平らな巨石を載せた「ドルメン」、立石「メンヒル」などが存在すること。
現在は広島県庄原市に所属する葦嶽山は、基底部から頂上まで高さ約150m。
周辺には鏡石やドルメンなど巨石遺構が数多く存在して、前述した4つの条件をすべて満たしている。

鏡石は一面が畳10枚くらいの大きさで、重さは約100tもある。
葦嶽山に向かい合っている鬼叫山の南側に高さ7mもある石柱が数本立っており、これは拝殿といわれている。

これらが自然の産物ではなく、人工的な構造物であるとすると、急な斜面にどのようにして100tもの巨石を運び上げたのだろうか。
広島県・のうが高原でも、古代の人工タイルが張りつけられた巨石遺構が山全体に多数存在する。
それ以外にも、青森県の靄(もや)山や秋田県の黒又山、富山県の尖(とがり)山、岡山県の熊山遺跡などでピラミッドが発見されている。

長野県の皆神山は特に不思議な現象が多発することで有名。1965年から約2年間にわたり有感地震が7万回、1日当たり300〜1000回も発生。この群発地震が異様なのは、震源地のほとんどが皆神山の真下3〜5kmであることだ。
火山でもないこの山が、なぜ震源になるのか、未解明である。そのうえ、重力異常や山全体が発光する現象が見られたという。

日本は巨石文化やピラミッドに関する研究が立ち遅れているといわれるが、酒井勝軍は、なぜピラミッド発掘に立ち上がったのか。

実は、彼が帰国後に出会った古代の文献『竹内文書』が大いに影響を与えたということである。
『竹内文書』は、茨城県磯原の竹内家に伝わる古文書で、約1500年前に竹内家の祖先が、古代文字で書かれたものを漢字と仮名混じり文に翻訳したとされる、膨大な文献群である。

『竹内文書』は、荒唐無稽な発想に満ち満ちている。例えば「数十万年前の日本列島は、世界の文化・政治の中心だった」とか……。古代の日本人は「天之浮船」と呼ばれる乗り物で世界各地を1日4万kmの猛スピードで移動し、瞬時にして全地球の情報を把握する技術を持っていた、などなど……。

竹内文書が示すムー大陸とは!

一方、沖縄海域で発見された海底遺跡でも、数々の怪奇現象が報告されている。
喜界島で海底ピラミッドの上を泳いでいたら、泳ぎの達人でも溺れそうになったとか、何人ものダイバーが大規模な海底構造物を目撃したにもかかわらず、その後、専門家が参加して大がかりな科学的な調査が行われても、構造物らしいものは発見されなかった。
慶良間ではダイバーが海底ストーンサークルの石を動かしたら、ダイバーの体調に異変が生じた。
粟国島でも、海底井戸の石を採取しようとしたら事故などのトラブルに見舞われて、結局採取できなかった。
これら沖縄海底遺跡の不思議な特徴は、熱帯特有のサンゴ礁や柔らかい堆積物がなく、むき出しのままの状態になっていることだ。そのうえ、魚の群れも寄りつかない。
そして謎は、解明されないまま残っている。
このように多発する神秘的な現象は、何を物語っているのだろうか?
ピラミッドや巨石構造物がもたらす未知のエネルギーによるものなのだろうか?
『竹内文書』に伝えられる地図も不可思議この上ない。この地図は、まことに不思議なことを指摘しているのである。
その最も興味深い個所は、「日本列島の南方にかなり大きな陸地がある」というところである。
『竹内文書』の地図が指摘するように、台湾からフィリピンなどを含む海域に大陸があったとしたら、ジェームズ・チャーチワードの説くムー大陸をどう考えればいいのだろうか。
ムー大陸を世界的に有名にしたのは、アメリカのジェームズ・チャーチワードだが、彼によればムー大陸は太平洋に沈んだということになっているのだ。
だが、沖縄など南西諸島が1万数千年以上の太古には、大陸だったかもしれず、数々の海底遺跡が実はムー大陸が琉球海域にあったことを立証する手がかりのひとつになるかもしれない。
もし、そうだったら……と考えて、胸がわくわくするのは、わたしだけだろうか?

【2001年1月9日】

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21:03 | 未分類
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