人魚伝説(若狭・小浜)800歳まで美しいまま生き続けたといわれる「八百比丘尼」の伝説。美を保てたのは人魚の肉を食べたからと言うのだが・・・。若狭小浜のこんな珍しい話の裏には?!
「人魚伝説に惹かれて、この土地を訪れる人はとても多いんですよ」
こう話すのは、福井県小浜(おばま)市で、魚屋を営む女将さん。
昔、小浜の勢(せい)村に高橋権太夫という金持ちがいた。高橋長者は若狭の実在の豪族である。外国から珍しい品物を取り寄せ、それを売ってはお金を儲けた。
8つの蔵には金銀宝物がぎっしり詰まり、高橋長者の名前は他国まで響き渡っていたという。
そのころ、小浜の金持ち連中の間では、寄り合い(講)が時々開かれていた。高橋長者もその仲間のひとりだった。
この講は、講員の家で回り番に開いていた。いつのころからか、海辺の方の人物だという見知らぬ人が、講の仲間に加わっていた。
そこで、一度その人の家で講を開きたいと世話役が頼むと、「承知しました。舟を出して迎えに行きますから、皆さんご一緒においでください」という返事だった。
その講の当日がきて、一同は迎えの舟に乗り込んだ。その舟には何やら被いがかぶせてあって、外を見ることはできない。
どうやら舟は、ぐんぐん水中をくぐっているように感じられる。
やがて舟が目的地に着いた。みんなは主人の案内で舟を出て、家に入った。
その住まいは、小浜あたりの普通の家とは全く違う異国風の御殿だった。みんなは珍しく思い、御殿の中をあちこち見て回った。
会食が始まり、食膳にはくさんのごちそうが並べられた。
山海の珍味が次々と運ばれたが、その中にこれまで見たことのないものがあったので、高橋長者が尋ねた。
すると、「これは人魚の肉です。不老長寿の薬だからお召し上がりください」主人はこう返事をした。
ところが、ぶよぶよした不気味な肉なので、箸をつける気になれなかった。
「この料理は今日、第一のごちそうと思い、お出ししましたのに、食べてもらえないのは誠に残念です。せめて土産になされませ」
そう言って、包んでめいめいに持たせてくれた。
帰りも来た時と同じように、舟は水中をくぐったかと思うと、たちまちのうちに、元の海岸に帰り着いた。
みんなは気味悪がって、例のお土産を海に捨ててしまったが、高橋長者だけが包みを家へ持ち帰り、家族に見せた。
ぶよぶよの肉は気味が悪いと言って、誰も手をつけようとしない。
しかし、高橋長者の娘だけが物珍しさに箸をつけた。そうしたら甘くて身もとろけるようなので、残らずたいらげてしまった。
娘はそのとき16歳だったが、不思議なことにそれからは何年たっても歳をとらない。白い肌の娘姿だった。
やがて娘は、ある男性の元へ嫁いで行った。それから数十年が経過した。
娘の親が死んで、それから夫が年老いて死んでいったにもかかわらず、彼女だけはいつまでも若さを保ち、決して老いることがなかった。
その後、彼女何度も結婚したが、ついに子どもは授からなかった。
いつも夫の方が先に死んでいき、知っている人はすべてあの世に旅立っていった。
彼女はつくづく世の無常を感じて120歳の時、出家して、諸国行脚の旅に出る。
病人や貧しい人を助けたり、道を造ったり、橋を架けたりした。
行く先々で椿の種をまいて花を咲かせて、こちらに10年、あちらに10年というぐあいに祖国を巡った。
いつでも容色が衰えることのない彼女のことを、人々はいつしか八百比丘尼(やおびくに)と呼んだ。
ある時、彼女は生まれ故郷が懐かしくなって、小浜に帰った。
とはいえ、知る人は誰ひとりなく、思い出ばかりが切なく浮かぶだけだった。
やがて思い余って彼女は言った。
「鐘の音が途絶えたら、わたしは亡くなったと思ってほしい」
空印寺山門脇にある洞窟に入り、断食して自ら命を絶ったという。
この洞窟は現在、高さ1.5m、奥行き約5mほどの洞窟だが、古老の話によれば、もとは、この洞穴がどこまで奥深かったかわからないそうだ。
むかし、ある人が試しに探ろうと考えて入ったところ、3日に歩きつづけてやっと抜け出られたところが、100km以上も離れている大和の国だったというが話ある。
このように奥深かった洞窟も、国鉄小浜線八幡トンネルを掘る工事の際、落盤で閉じられたのか、浅い洞穴になってしまったようだ。
彼女は生前、椿をこよなく愛したので、玉椿姫とも呼ばれる。
現在も洞窟の前には尼僧の化身といわれる白玉椿が咲いている。
人魚について『日本書紀』の推古天皇の時代に、人魚らしいものを捕まえたという記録が登場する。
ほかに『和名抄』『甲子夜話』『諸国里人談』など多くの文献に出ている。
漁師が網にかかった人魚の肉を食べたら、突然大嵐が起こって、漁師は海の藻くずになったという話もある。
捕獲した人魚を逃がしてやった漁師がいた。その後、美女に姿を変えた人魚がお礼に美しい玉を持参して、漁師に与えた。漁師はそれを売って、大金持ちになったという話もある。『和漢三才図絵』には、人面魚と上半身が女性で下半身が魚という二つの例が紹介されている。
人魚の正体はジュゴンなのか 日本の妖怪類の見本を並べ尽くした鳥山石燕(とりやませきえん)の画集『百鬼夜行(ひゃっきやこう)』(1781)の中の図では、醜悪な面貌に描かれている。
また、八百姫が食べたのは、クジラと同じ哺乳類のジュゴンであるとする説もある。
八百比丘尼の伝説は全国に広く分布している。特に分布密度の高いところは、北陸地方を中心として、東は関東地方や福島県、西は山陰、北九州から伊勢に及ぶ。
これにより、彼女がたどったコースを推測することができる。
また八百比丘尼の出生の地と伝えられている場所が全国に20数カ所あり、東は福島県から、西は福岡県まで至る。主な所は佐渡、越後、越中、能登、越前、若狭などだ。
出生の地が多数あるにもかかわらず、死没の地は空印寺境内1ヵ所である。
八百比丘尼が800歳の長寿を保ったということの真偽はともかくとして、彼女は歴史上に登場しているのである。
室町中期の禅僧が書いた日記『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』には、こう記されている。
「文安6年(1449)7月26日、近頃八百歳の老尼が若狭から京都に入った。人々は争って見ようとしたが……門を閉ざして、人前に姿を現さない」
654年、八百比丘尼が生まれる。669年、人魚を食べる。773年、剃髪して諸国巡礼の旅に出る。1454年、空印寺境内の洞窟で入定する。
平成3年、小浜市が伝説の残る全国の市町村に呼びかけ「八百比丘尼サミット」を設立した。第1回のサミットは小浜市で開かれた。
伝説を荒唐無稽なものとして片づけるのではなく、町おこしや集客に役立てる方法があることを八百比丘尼の例が物語っている。
【2003年6月9日】
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